三次高校野球部
「指導歴の中でどれか一つと言われたら?」
と、これまで何度か訪ねられた。
迷わず、「三次高校野球部」と答えてきた。
野村でも金本でもダルビッシュでもオリンピック選手でもない。甲子園出場だけでも一緒に記事を添付した高陽東高校含め10回は超えているのにだ。
今朝の朝刊、地方紙「中国新聞」の「高校野球 100回目の夏」と題した連載物に、2005年選手権広島大会の決勝戦(三次vs高陽東)の記事が掲載されている。
「…プロ野球選手が通う 広島市内のトレーニングジム に指導を依頼し、筋力を強化…」
もちろん我がトレーニングクラブアスリート のことだ。
前年夏の新チームスタート時は、2年生14名・1年生2名の僅か16人。広島県北の中国山地沿いの人口5万人足らずの地方都市の県立の進学校の野球部なのだから。
ノーシードで5戦目の準々決勝で、甲子園出場経験校の私学(瀬戸内高校)と対戦し、リードしていたにも関わらず雨天コールドとなり、翌日の再試合でも勝った辺りから、周辺が騒がしくなったのをよく覚えている。スポーツ紙も一面で「ミラクル 三次」を報じ、ローカルテレビなどでも取り上げられていた。準決勝戦もサヨナラホームランで勝ち上がり決勝戦へ。
「ミラクル・奇跡・旋風」などの字が踊った。
0―5で敗れたものの、30年にも及ぶアスリートの歴史の中でも一番と言える してやったりもの の快挙だった。


準々決勝後、一面で「ミラクル 三次」を報じるスポーツ紙
準決・決勝を報じた翌日・翌々日の一面も「ミラクル 三次」だった

三次高校野球部からいただいた準優勝記念の写真額

このチームもアスリートメンバー。春全国ベスト4・夏全国ベスト8